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2010年12月

2010年12月30日 (木)

ゆかこグループ名

ママソ「いきものがかり っていう名前だけど、他の係だったらつけんかっただろうな。きっと小さい頃に生き物係をやってたからだろ」

ゆかこ「私だったら、でんき・まどがかり っていうグループ名になっていたわけか」

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2010年12月26日 (日)

理解者

ゆかこ「私さ、つい最近まで勘違いしてたことがあって」

ムーニー「なに?」

ゆかこ「・・・・・・」

ムーニー「・・・・・・・・」

ゆかこ「股関節ってさ、股間節・・・って思ってたよ。股間」

ムーニー「あーー」

ゆかこ「やっぱりわかってくれたか」

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ナガタニエン

ゆかこ「!!!」

ムーニー「!!!!!」

ゆかこ「なんだこの鍋(マーボー鍋)!すごくおいしいじゃないか!!」

ムーニー「うん、すごくおいしい!!」

ゆかこ「どこの会社?」

ムーニー「えっと・・・永谷園だって」

ゆかこ「永谷園すごい!」

ムーニー「永谷園!」

ゆかこ「永谷園!!」

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イブの夜

タキエ「これみんなに買ってきた(クリスマスプレゼント)んだけど、ペロはどれがいいだろう。いろんな種類があるんだけど」

タキエが買ってきたクリスマスプレゼント

ゆかこ「あーー、どうだろ、写メってペロに選ばせたらいいんじゃない」

タキエ「そうか」

~~~

数分後

タキエ「ペロから返事こないわ」

ゆかこ「なんだ」

タキエ「・・・今(12/24 深夜)メール送るのって、もしかしてすごくKYだったか?」

ゆかこ「・・・まさか」

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オトナ

ママソ「忠臣蔵ってさ、いい大人になって初めてどういうことだったのかわかってきたわ」

ゆかこ「フーン、私はいい大人じゃないからまだわからないや」

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2010年12月 9日 (木)

TAKIE

お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。

先日、友人から「ツイッターってやってる?」と聞かれました。ツイッター?やってたっけ?ああやってないわ・・・というか、ブログがあった気がする。で、確認したらやっぱりありました。

ところでこのブログは「まともな姉」と「タキエという何かがちょっと外れた妹」の二人で書いており、妹の支離滅裂な文章と、姉の的確な社会批判が話題を呼んでいたことはご存知だと思います。

そんなわけで、このブログを読んでくれていた方の中にも、タキエのその後が気になっている人が一人くらいはいるかもしれません。

そこで、年末も近いですし、この一年を久々の文章で振り返ってみたいと思います。なお、長くなりますが、最後まで読んだことで時間を無駄にしたという苦情は一切受け付けません。

今年の夏、私は職場で大声で歌っていました。歌う必要があったかと聞かれれば、ありませんでしたが、何かにとりつかれたように歌っていました。すると、元々悪かった腰に急に激痛が走り、そのまま病院へ行くはめになりました。あの時から、私はひどい腰痛と日々戦うことになりました。

はりの先生には「腰というか、正確には股関節です」と言われました。そして、「バスケなど割と激しい運動をしている人の中に、こういう症状を示す人がいるのですが」と先生は続けました。私の友人なら知っていると思いますが、私は運動には縁のない人間です。あんなにも時間のあった大学時代、私が唯一活発に動き回ったのは、大学構内のごみ箱をあさり、ジョージアのポイントシールを収集するという活動を実行にうつしたときのみでした。ちなみにそのとき巻き込まれたのは滋賀のイケメンという、暗い関西人でした。

ということを考えながら、私は先生に「そうかもしれません」と答えていました。見栄とは怖いものです。その後、再び同じような激痛が走って病院へ行き、「土日にあまりにごろごろしていると、月曜にこうしてひどく痛むことがある」と言われた時も。見栄ゆえに「思い当たらないのですが」と言ってしまいました。大人って、簡単に嘘をつくのだな、と思いました。

その頃タキエは、仕事柄カメラを操っていたこともあり、猛烈にイケメンを撮りたいと思っていたのだろうと予想できます。姉だからわかります。しかし、都合良くイケメンは落ちていないので、ペロを撮ることになりました。ペロとは我らわけのわからない姉妹の弟で、ディズニーに惹かれて関東へ行ってしまった年頃男子です。

出来上がった写真を見ながら、タキエは実に満足そうにしていました。見ると、ペロが侍のような格好をして、剣や傘まで持ちながら、まんざらでもない顔で映っていました。この妹にしてこの弟ありです。

話が前後しますが、タキエは今年社会人になりました。よって姉妹の都合が合わなくなり、一緒に出かけることは少なくなりました。ふと思いついて「モンキーパークへ行こう」と提案したとして、「いいよ」と付いてきそうなのはタキエくらいだったのに、私の思いつきの旅はなかなか実行されることがありません。

タキエは忙しいながらもなかなか楽しんでいるようです。先日、急に居間で奇妙な舞を始めたので、ついにおかしくなってしまったのだと思いましたが、聞くと忘年会でAKBを踊るのだとか言います。AKBは詳しくない私ですが、タキエの舞がAKBでないことは明確でした。タキエの本名はサキエであることからも、本来ならSKEを踊るべきなのに、東京人に憧れてAKBにしてしまったことが彼女の失敗だったのかもしれません。とにかく、AKBファンなら憤慨しそうなタキエ踊りを、AKBだと言い張って、忘年会で踊るのだと思います。

話は戻って、腰痛、正確には股関節痛に苦しむ日々を送っている私ですが、今年になり、新たな盟友ができました。本名を書くわけにはいかないので、尊敬の意を込め、そいつのことをムーニーと呼ぼうと思います。

ムーニーは、一言で表すならば馬鹿ですが、噛めば噛むほど味わい深い奴です。しかし、あまりに不器用に生きており、それゆえ友人になったわけです。

知り合ったばかりのころ、ムーニー宅でくっちゃべっていると、突然頭痛に襲われました。私は、最後の力を振り絞り、ムーニーに「クスリヲクダサイ」と告げました。しかし、ムーニーは病は気で治すと思っているタイプの人間だったので、薬などもっていません。

ムーニーはあわててお気に入りの自転車にまたがり、スギ薬局に走って行きました。正確にはうーうーうなされていたので、走って行ったところは見ていませんが、すぐに帰ってきたところを見ると、そうだったのだと思います。スギ薬局まで飛び、帰り、そこらへんに自転車を放置して急いで部屋に戻ってきたような速さでした。

そして次の日気がついたときには、ムーニーの自転車はなくなっていました。本当に鍵をかけ忘れてしまったのです。その瞬間、こいつとは友になれる、と思ったのです。

ムーニーと友になったからといって何かがかわったということではありませんが、タキエの方もきっと交流関係が広がったと思い、ママソに聞いてみたことがあります。するとママソが「本当にあの子は意味がわからない」と言います。聞くと、タキエは狂ったように一人でカラオケボックスで歌っているとのことでした。私が股関節痛になったときのことを思い出しました。なんという運命でしょうか。

私は一人牛丼はできても、カラオケは無理なタチです。同じ姉妹でも、違うところは違うのです。タキエは歌手にでもなりたいのだろうかと思っていた頃、「のど自慢」と書かれたはがきが届きました。「今回は応募多数のため、あなたは予選すら出られません。ごめんね」という趣旨のものでした。なんとタキエはあの「のど自慢」に応募していたのです。先ほど登場した滋賀のイケメンも出演を夢見て予選に出た、あの「のど自慢」。彼の背中を追うように、タキエも応募していたのでした。しかし、応募していたのは「京都大会」であり、ママソの娘に対する疑問をますます増大させたのです。

そんな不審な行動が続き、ママソもお手上げ宣言をしたころ、そんなに有名になりたいのなら読者モデルにでもなればいいじゃん、とタキエに提案しました。そして、適当に私が読んでいる雑誌を持って行きました。タキエはその雑誌を1ページも読むことなく、その雑誌がどんな系統のものかも知らぬまま、応募しました。そして翌月の雑誌に、小さなタキエの記事が載りました。しかしタキエは、小さいとはいえ自分が載った雑誌を少しも読もうとせず、そのまま放置して終わりました。

そんなタキエと私は、年末年始に旅に出ることにしました。そのときは、今度こそブログにその跡を残しておこうと思っています。

一度では、私の素晴らしさとタキエの奇行を語れないので、今日はこれくらいにして、また今度語りたいと思います。では、また、後ほどお会いしましょう。

ついしん

股関節痛って、女性としてなんか恥ずかしいので、腰痛と名乗っています。

これくらいの嘘は、かわいいものです。

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